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Report #1

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Interview #1

学校法人服部学園 創立に尽力した“ 服部 親行氏 ”について、

服部浩美(OCHABI Institute主席研究員)にインタビューしました。

Interview #1

学校法人服部学園 創立に尽力した

“ 服部 親行氏 ”について、

服部浩美(OCHABI Institute主席研究員)

にインタビューしました。


Interviewer

服部 亮(OCHABI Institute 研究員) & ⽂⽥聖⼆(同:研究員)


 

Interviewer

服部 亮(OCHABI Institute 研究員)

& ⽂⽥聖⼆(同:研究員)


 
Aboutのページで、『服部廣太郎博⼠のもとで服部親⾏(ちかみち)がゼロから学園創⽴に尽⼒し、1955年に「世界に⽂化で貢献する」を建学の精神とした「OCHABI」が始まった』と記載されておりましたが、「服部親⾏」がどのような背景で活動し学園創⽴に尽⼒したか、もっと知りたいと思っていますので、お話を聞かせていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。 
わかりました。よろしくお願いします。

わかりました。よろしくお願いします。

「世界に文化で貢献する」

この高邁な建学の精神を実現させた“ 服部 親行氏 ”の偉業と信念

「世界に文化で貢献する」


この高邁な建学の精神を実現させた

“ 服部 親行氏 ”の偉業と信念

服部 親行の偉業について語る


学校法人服部学園の創始者であり、服部 廣太郎 博士の息子である服部 親行(ちかみち)。
服部学園 理事長 / OCHABI Institute 主席研究員の服部 浩美氏が、父である服部 親行氏について、その生前のエピソードを語りながらOCHABIの歴史と根幹にある信念を説いていきます。
ただ過去を回想するだけではなく、親行氏の軌跡と成し遂げた功績を振り返ることによって、改めて今この時代にこそ大切なことを見つめていきます。 

服部 親行の偉業について語る


学校法人服部学園の創始者であり、服部 廣太郎 博士の息子である服部 親行(ちかみち)。
服部学園 理事長 / OCHABI Institute 主席研究員の服部 浩美氏が、父である服部 親行氏について、その生前のエピソードを語りながらOCHABIの歴史と根幹にある信念を説いていきます。
ただ過去を回想するだけではなく、親行氏の軌跡と成し遂げた功績を振り返ることによって、改めて今この時代にこそ大切なことを見つめていきます。 

服部 親行氏の軌跡

フランス滞在中に見つめた「芸術家とはどうあるべきか?」

服部 親行氏の軌跡


フランス滞在中に見つめた

「芸術家とはどうあるべきか?」

戦時中、労働運動の研究でフランスへ


終戦直前から、親⾏は、⾃分の国に貢献したいという思いを強く抱き、エリート企業である銀⾏や電⼒会社で働きました。しかしそこは、親⾏の理想とする世界ではなかったようです。
もともと⼈々の⼈権や幸福について強い関⼼を持ち、何ができるか常に考え⾏動しており、労働問題の研究と活動に⼒を注ぐべくILO協議会で働き、フランス労働省のパリ労働社会問題研究所の研究員としてフランスへ渡ることになります。
パリでは研究に励み、ILO協議会で⽇本代表随員や国連総会の⼈権協会代表を務め、その間、⽇本の新聞社からの依頼でパリ特派員も兼ね、仏⽂化や社会を深く学びました。
⽇本に帰ってからは、ジャーナリストとして、また、⼤学講師として活動し、同時に⽇本に国際労働運動の事務所を開設するなど、超多忙な日々を送りながら、このOCHABIを創設したのです。
芸術の都であるパリに滞在中、直接ヨーロッパの文化芸術に触れ、フランスに来ていた多くの⽇本⼈画家や作家に会う機会がありました。それが、親⾏にとって「芸術家の在り⽅とはどうあるべきか?」について、深く考えるきっかけとなりました。

戦時中、

労働運動の研究でフランスへ


終戦直前から、親⾏は、⾃分の国に貢献したいという思いを強く抱き、エリート企業である銀⾏や電⼒会社で働きました。しかしそこは、親⾏の理想とする世界ではなかったようです。
もともと⼈々の⼈権や幸福について強い関⼼を持ち、何ができるか常に考え⾏動しており、労働問題の研究と活動に⼒を注ぐべくILO協議会で働き、フランス労働省のパリ労働社会問題研究所の研究員としてフランスへ渡ることになります。
パリでは研究に励み、ILO協議会で⽇本代表随員や国連総会の⼈権協会代表を務め、その間、⽇本の新聞社からの依頼でパリ特派員も兼ね、仏⽂化や社会を深く学びました。
⽇本に帰ってからは、ジャーナリストとして、また、⼤学講師として活動し、同時に⽇本に国際労働運動の事務所を開設するなど、超多忙な日々を送りながら、このOCHABIを創設したのです。
芸術の都であるパリに滞在中、直接ヨーロッパの文化芸術に触れ、フランスに来ていた多くの⽇本⼈画家や作家に会う機会がありました。それが、親⾏にとって「芸術家の在り⽅とはどうあるべきか?」について、深く考えるきっかけとなりました。

芸術家である前に、まず

⼈として⽴派であることが重要


親⾏は、優れた芸術家というものは、芸術家である前に⼈として広い視野を持った⽴派な⼈間であるべきという理想と信念を抱いていました。
ジャーナリストであり、研究者であり、教育者でもあった親⾏は、学院⻑として学院の発展のためにその想いを活かしていきたいという強固な信念を持つようになります。
その親⾏の信念は学⽣たちにもしっかりと伝わり、多くの学⽣の信頼を得ていました。⼤変⾯倒⾒が良く、美術はもちろん、外国語をはじめとする学科も教えていました。当時はまだ美術系の学校が他にあまり無かったということもあり、だからこそ懸命に学⽣たちを教育しておりました。
その当時、美術を学ぶ⼈は苦学⽣が多く、仕事をしながら学ぶ学⽣が⼤変多かったのです。そのような学⽣たちを学内で管理課の⼿伝いをさせながら⾯倒を⾒たりもしていました。
当時の⽣徒には、卒業後、デザイナー、アーティストになった⼈はもちろん、有名企業の宣伝部や商品開発部へ⾏かれ活躍した⽅や、芸大・美⼤の教授になられた⽅もいらっしゃいます。⽇本の近代化にデザイン・アートを通して⼤いに貢献する⼈材を輩出してきました。
多くの⽴派な⼈材を育てたことは、学⽣との信頼関係が、いかに厚かったのかが分かる証でしょう。

芸術家である前に、まず⼈として⽴派であることが重要


親⾏は、優れた芸術家というものは、芸術家である前に⼈として広い視野を持った⽴派な⼈間であるべきという理想と信念を抱いていました。
ジャーナリストであり、研究者であり、教育者でもあった親⾏は、学院⻑として学院の発展のためにその想いを活かしていきたいという強固な信念を持つようになります。
その親⾏の信念は学⽣たちにもしっかりと伝わり、多くの学⽣の信頼を得ていました。⼤変⾯倒⾒が良く、美術はもちろん、外国語をはじめとする学科も教えていました。当時はまだ美術系の学校が他にあまり無かったということもあり、だからこそ懸命に学⽣たちを教育しておりました。
その当時、美術を学ぶ⼈は苦学⽣が多く、仕事をしながら学ぶ学⽣が⼤変多かったのです。そのような学⽣たちを学内で管理課の⼿伝いをさせながら⾯倒を⾒たりもしていました。
当時の⽣徒には、卒業後、デザイナー、アーティストになった⼈はもちろん、有名企業の宣伝部や商品開発部へ⾏かれ活躍した⽅や、芸大・美⼤の教授になられた⽅もいらっしゃいます。⽇本の近代化にデザイン・アートを通して⼤いに貢献する⼈材を輩出してきました。
多くの⽴派な⼈材を育てたことは、学⽣との信頼関係が、いかに厚かったのかが分かる証でしょう。

親行の信念を守り抜いていくために。

「こんな時代だから」と、状況に合わせて動いているだけではだめなんです。

 今、時代がこうであるということも含めて、あるべき姿を徹底的に追求するのです。

親行の信念を守り抜いていくために。


「こんな時代だから」と、状況に合わせて動いているだけではだめなんです。

今、時代がこうであるということも含めて、あるべき姿を徹底的に追求するのです。

親⾏の活躍は、⽣徒たちの⼤いなる誇り


学院の⽣徒は皆、親⾏を学院⻑としてのみならず、幅広い⽅⾯で活躍し偉業を成し遂げられてきたことを⼤いなる誇りとして勉学に励んでいました。
⼀⾒すると寡黙な先⽣という印象だったが、学院祭では⽣徒たちと共に楽しみ語りあかすなど、常に⽣徒たちの仲間として、また時には良き相談相⼿となって、⽣徒たちに広い慈しみの⼼を与え続け、深い愛情を注いでいました。
親⾏は、⼀⼈ひとりが豊かな⼈⽣を送るため、幸せになるための⾃⽴を導くことを⽬指していたのです。
それはまさに、「世界に⽂化で貢献する」という現在のOCHABIに引き継がれている信念だと⾔えます。

親⾏の活躍は、

⽣徒たちの⼤いなる誇り


学院の⽣徒は皆、親⾏を学院⻑としてのみならず、幅広い⽅⾯で活躍し偉業を成し遂げられてきたことを⼤いなる誇りとしてて勉学に励んでいました。
⼀⾒すると寡黙な先⽣という印象だったが、学院祭では⽣徒たちと共に楽しみ語りあかすなど、常に⽣徒たちの仲間として、また時には良き相談相⼿となって、⽣徒たちに広い慈しみの⼼を与え続け、深い愛情を注いでいました。
親⾏は、⼀⼈ひとりが豊かな⼈⽣を送るため、幸せになるための⾃⽴を導くことを⽬指していたのです。
それはまさに、「世界に⽂化で貢献する」という現在のOCHABIに引き継がれている信念だと⾔えます。

親⾏の信念を守り抜いていくために


歴史的に⾒ても OCHABI は、大変由緒ある学校であると⾔えます。
そこで学ぶ⽣徒も、そこで働く職員も、
誇りを持って学び、働いてきました。
学校の⼤きさで勝ってる負けてる云々ではなく、70年という歴史の重みがある中で、人の創造性を引き出し、生かす教育を行う上で、⾃分たちは何をしようとしているのか?何を実現しようとしているのか?をもっと徹底的に⾃⾝に問い詰めていく必要があるのです。
世界情勢的にも経済的にも様々な問題が起きている現代、金力や武力の力の論理が最優先する社会にあって、徹底して本質的なことを⾒つめ、文化を尊重し、モラルを⾒直す時が来ています。教育の基本とは何なのか、表現するということは何なのか、この⼤変な時代に⽣きるということはどういうことなのか。
根本から徹底して追求していかなければ、突破⼝は開けません。
「こんな時代だから」と、状況に合わせて動いているだけではだめなんです。
今、時代がこうであるということだからこそ、徹底的に創造力を追求するのです。

親⾏の信念を

守り抜いていくために


歴史的に⾒ても OCHABI は、大変由緒ある学校であると⾔えます。
そこで学ぶ⽣徒も、そこで働く職員も、
誇りを持って学び、働いてきました。
学校の⼤きさで勝ってる負けてる云々ではなく、70年という歴史の重みがある中で、人の創造性を引き出し、生かす教育を行う上で、⾃分たちは何をしようとしているのか?何を実現しようとしているのか?をもっと徹底的に⾃⾝に問い詰めていく必要があるのです。
世界情勢的にも経済的にも様々な問題が起きている現代、金力や武力の力の論理が最優先する社会にあって、徹底して本質的なことを⾒つめ、文化を尊重し、 モラルを⾒直す時が来ています。教育の基本とは何なのか、表現するということは何なのか、この⼤変な時代に⽣きるということはどういうことなのか。
根本から徹底して追求していかなければ、突破⼝は開けません。
「こんな時代だから」と、状況に合わせて動いているだけではだめなんです。
今、時代がこうであるということだからこそ、徹底的に創造力を追求するのです。

「これしかない」と限定して⽣きる必要はない


例えば、AIの進化。それは⼈間が⾏き着いたある場所かもしれません。世界を広い⽬で⾒れば、AIなど手の届かない世界がいくらでもあります。感情理解や創造的思考、倫理を要する分析や抽象的な考えの表現などに限界があります。
なので、「時代がこうだから、⾃分はこれで⽣きるしかない」と限定する必要は全くありません。
また、社会的規範を守るためにやってはいけないことはありますが、世間体や社会的な眼を意識しすぎるあまりに委縮してしまって、表現できずに何もできない事態に陥っている人々が多くいます。これは異常なことだと思います。
もっと⾃分の感性を信じ、⾃分の感じる違和感を⼤事にして、⼀⼈ひとりが責任を持って、どう思い、どうしたいのかを考え選択していくべきなのです。
そうしなければ、状況に合わせるだけで、⾃分というものが何なのかを⾒失ってしまいます。
今⼀度、ただ何となく⽣きていないか、⾃分の証とは何だろうかを考えた上で、改めてしっかりと選んで欲しいのです。
それがOCHABIの授業にもある「ゼロワーク®」の考えにも繋がっています。

「これしかない」と

限定して⽣きる必要はない


例えば、AIの進化。それは⼈間が⾏き着いたある場所かもしれません。世界を広い⽬で⾒れば、AIなど手の届かない世界がいくらでもあります。感情理解や創造的思考、倫理を要する分析や抽象的な考えの表現などに限界があります。
なので、「時代がこうだから、⾃分はこれで⽣きるしかない」と限定する必要は全くありません。
また、社会的規範を守るためにやってはいけないことはありますが、世間体や社会的な眼を意識しすぎるあまりに委縮してしまって、表現できずに何もできない事態に陥っている人々が多くいます。これは異常なことだと思います。
もっと⾃分の感性を信じ、⾃分の感じる違和感を⼤事にして、⼀⼈ひとりが責任を持って、どう思い、どうしたいのかを考え選択していくべきなのです。
そうしなければ、状況に合わせるだけで、⾃分というものが何なのかを⾒失ってしまいます。
今⼀度、ただ何となく⽣きていないか、⾃分の証とは何だろうかを考えた上で、改めてしっかりと選んで欲しいのです。
それがOCHABIの授業にもある「ゼロワーク®」の考えにも繋がっています。

『先行其言、而後従之』

先ずその言を行い、しかる後にこれに従う

優れた人は、人に何か教えを与える時には、先ず自分でやってみせてから口を開くものである。

『先行其言、而後従之』


先ずその言を行い、

しかる後にこれに従う


優れた人は、人に何か教えを与える時には、先ず自分でやってみせてから口を開くものである。

「先行後言」の教え


そして今の時代、不満や⽂句が多く蔓延っています。
「できない理由ばかり⾔ってないで、まず作れ!行動しろ!」私はそう⾔いたいです。
⼈間は、⾃分で体験し⾃分で実感して、痛い思いをし、喜びを実感しなければ、⼝でいくら⾔われてもわからないものです。
だからまずはやってみること、⾏動することです。やらないでああだこうだと⾔うことほど説得⼒に⽋けるものはありません。
やっていく中で学んで、蓄積していって、初めて実績となります。やることによって、賛同してくれる⼈が集まってくることが望ましいのです。商品は使えば終わりですが、⼈はやればやるほど成⻑していきます。こんな素晴らしいことはありません。
だからこそ、それぞれが⾃⼰を持って、⾃覚を持って、責任を持ってやっていくべきなんです。そこが今の時代、疎かになっているように感じます。だからこそ、細かいことでいざこざも起きてしまっていると思うのです。
大きな眼を持って現実を受け入れて、自分を表現していきましょう。
あれもこれもやって、⼿が回らなくなることもあるかもしれません。そうなった時は、コアになる部分だけを残して再⽣していけば良い。歴史はそうやって作られていくものです。
あなたが何をやってきたのか、何をやりたいのか、そこに誇りを持ってやればいいのです。恐れずにやって、表現して、何かあれば対処すればいい。クリエイターを目指す人はそれくらいの腹を持って進んでいってほしいと思います。
⾝が引き締まる思いです。親⾏さんが残された、今もってOCHABIに息づく信念をしっかりと守って、社会に貢献できていければと思います。
「確固たる信念さえあれば、何があっても、そこに戻って来られる」
そういうことをしっかりと再認識できた時間でした。
本⽇はありがとうございました。
理事⻑は、⽗である服部親⾏の葬儀の時に当時の教え⼦、ご友⼈から送られた弔辞を朗読しました。
親⾏のリアルな⼈間像や、終戦直後の美術教育の様⼦などがすごく伝わってくる内容でした。
⽣前の⽗親のことを思い出し、涙する場⾯も。